コンテンツ
昆布の歴史
トップ  >  12.昆布食の歴史

12.昆布食の歴史


室町時代、若狭昆布の主要な仕向先となった京都では、これを菓子として用いることが多くなりました。儀式のさいに風流な上菓子として使われたようです。

京都の「松前屋」は、宮中での大嘗会、歴代天皇の即位、その他あらゆる儀式にさいし、菊花、紅葉、観世水、百合を組合わせた「有職昆布」を京菓子の一種として献上しています。

明和二年(一七六五)後桜町天皇にこれらの「菓子昆布」を献納して、天皇より「養老御所の花」「雪の上」「柴の戸」等の命名をうけています。菓子昆布は、おぼろやとろろ昆布を製造したあとの芯を使います。

これをよく煮熟してのち砂糖液で煮つめ、さらに表面を砂糖でおおい、色々な花模様に意匠を こらしたものです。現今「求肥昆布」といわれるもので、軟らかくなるまで充分に砂糖液で煮ると、昆布の持ち味が砂糖の甘さにくるまれた菓子となります。今 でも敦賀市では町の誇る特産です。

室町期以来の菓子昆布としては「水辛」があります。天明元年版『見た京物語』は、江戸っ子の眼に映じた京の食べ物事情を適切に紹介していますが、その中で、「昆布をみずからと呼び」「芝居にてもまんじゅうや水辛を売る」と紹介しています。

明治27〜28年頃心斎橋の料亭「矢倉」の職人が順慶橋の井戸ヶ辻辺「酢常」という暖簾を構えます。コノシロを二枚におろし、スシネタにして評判をとりま す。ピンと張ったシッポを見て客がバッテラ(bateira ポルトガル語でボート『小舟』の意)と渾名をつけたのが始まり。

コノシロの値上がりから ネタを鯖にしますが、その生臭さを消すため昆布を上に乗せます。やがて白板昆布を使い体裁を整えます。昆布がうま味と乾燥防止の役目を果たして、大阪を代表する「松前寿司」となりました。

前
11.昆布と文化
カテゴリートップ
昆布の歴史