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8.商人と昆布

江戸中期、敦賀は昆布ロードの唯一の中継地となりました。宝歴年間(1760年頃)細工昆布の創始者高木善兵衛が現れ加工業者が増え、文成7年 (1824)「細工昆布仲間」の結成を小浜候から許可されました。この時、候から将軍家献上昆布の調整を命じられました。12代将軍家慶の弘化2年正月、 昆布を献上。以後、江戸に支店を設け、将軍家御用と江戸市中向け販路の拡張につとめます。大坂の堺は多くの鍛冶屋があり、昆布の手加工に欠かせぬ包丁も堺 で育てられました。鎌倉中期〜室町期に蝦夷地に和人が多く進出し、昆布商人も増え、百姓・商人層まで昆布食の習慣が広まりました。



江戸時代、享保の頃より内地商人の中から信用のおける者を選び、蝦夷地の漁場を請け負わせ「運上屋」を設けここを交易場所として昆布などを買い入れました。さらに海運業の発達と近江商人や昆布商人の活躍から昆布食は庶民に広まり、手加工・商売が開花します。

大坂では、海藻商人の株仲間「昆布商仲間」が生まれ、「青昆布仲間」「細工昆布仲間」が組織されました。問屋の差配役昆布屋伊兵衛は、西廻航路開設のころ から松前問屋を開いていました。「昆布屋」の商号を名乗ったことにも明らかなように、大坂コンブ商の草分けです。三代目伊兵衛のころには、早くも大坂屈指 の豪商の仲間入りをしています。

彼は商人として一流なだけでなく、書をよくし、歌道にも秀で、流麗な筆で数百の詠草を今日に伝えています。号を「求林」と 称する麻田流の算学者として、日本の数学史に輝かしい足跡を残しました。

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